次の世代に何を残すか、残せるか、
ノルウェー出身の哲学者アーネ・ネスによる「ディープ・エコロジー」という世界環境思想です。
「ディープ・エコロジーの原郷-ノルウェーの環境思想」(尾崎和彦著、東海大学出版会)によれば、ネスの思想は、「社会は自然破壊という環境危機を回避・克服するように変革されなければならない。
そこには、“自然”から“社会-自然”への理念が厳然と存在していなければならないのである」と述べられています。
ディープ・エコロジー/シャロー・エコロジー[deep ecology / shallow ecology]
「ディープ・エコロジー」とは、ノルウェーの哲学者A・ネス(Arne Naess)により提唱された環境思想の一つである。あくまで人間に役立つものとして自然を保全しようとする「シャロー・エコロジー」を乗り越え、人間の意識そして社会におけるエコロジカルな変革を促すことが目標とされている。自然界におけるあらゆる存在は全て相互依存の関係にあり、等しい内在的価値を保持しているという主張、そして人間が他の存在者の生存を侵害することに対する批判をその特徴とする。
ネスが初めてディープ・エコロジーの定義づけを行ったのは、1973年の「シャロー・エコロジー運動と長期的視野を持つディープ・エコロジー運動」と題された論文においてである。そこでは当時主流であった、環境汚染や天然資源の枯渇に対する懸念に動機づけられた環境運動は、結局は人間社会(特に先進諸国)に価値をおいたものであり、よって「浅い(shallow)」ものとして批判される。一方でネスが唱える環境思想は、自然界に存在する全てのものに対する見方を根本的に問い直し、その作業を通じて必ずしも人間の利益に供するものではない新たな価値観を構築することを求めており、その点において「深い(deep)」ものと考えられている。
ディープ・エコロジーの主張としてはじめに挙げられるのが、生態系におけるあらゆる存在が持つ固有の内在的価値である。シャロー・エコロジー的な観点においては、人間にとって有意義かどうかが存在の価値を決める基準とされているが、ディープ・エコロジーは生態系の構成員全てが「生き栄えるという等しく与えられた権利」を持つとする(ネス[2001] 33)。ゆえにそれらの存在者は平等に扱われるべきであり、不当にその生存を侵されてはならない。こうした概念をネスは「生態圏平等主義(biospherical egalitarianism)」と呼ぶ。これは従来の人間中心主義的な環境思想を自然中心主義的なものへと転換することを促すものである。ただネスはあらゆる殺生を禁じているわけではなく、「生き物は自らの生命維持のため、いくらかの殺害、搾取、抑圧を必要とする」(ネス[2001] 32)と述べている。
さらにネスがディープ・エコロジーにおける重要な概念として提示するものとしては、生態系に関する「全体論的な(holistic)」見方がある。それによると、ある環境にそれぞれの存在が関わりを持つことなく独立して存在しているという「原子論的モデル」は、生態系のあり方を正確に示しているとはいえない。むしろそれらは網の目状に相互に関係しており、ゆえに「個々の生命はその関係の網の結び目にあたる」という考えこそが、ディープ・エコロジーの志向する世界観である(ネス[2001] 32)。この見方によれば、生態圏はそこに存在する有機的生物だけでなく、それらを取り巻く無機物の環境も含めた全体によって構成されているものとなる。よってその場から離れた存在者は、その性質そのものを変化させてしまうのであり、常に恒常的な状態にはあるわけではないと言える。
1989年にネスはそれまでの自身の論考をまとめた『ディープ・エコロジーとは何か』を出版した。そこで中心に論じられているのが、ディープ・エコロジーにおける第三の主要な要素である「自己実現(Self-realization)」論である。ネスにとって自己は単独で存在するものでなく、常に生態系における他との相互依存の関係にある。それゆえに必然的に自己の範囲は「ますます多くのものを含む」ように拡大し、他のものとの「一体化(identification)の過程」を経て、最後には個々の「自己(self)」が全体的な「自己(Self)」へと成長するとネスは述べる(ネス[1997] 92)。よって人間の繁栄、すなわち自己実現は、他の存在の利益を侵害するのではなく、むしろそれを増加させるものとなる。なぜなら「自己の拡張を通じて、私たち自身にとっての最善がまた他の存在にとっての最善にもなっている」からである(ネス[1997] 279)。ネスによれば、こうした環境に対する共生の思考は個々人がそれぞれ発展させるべきものであり、そうして出来上がった「生態圏内の生命の状況に啓発された哲学的世界観あるいは体系」を彼は「エコソフィ(ecosophy)」と呼ぶ(ネス[1997] 63)。
ディープ・エコロジーは幅広い思想的背景から生み出されてきたと言える。ネスが頻繁に触れるのはB・スピノザ(Baruch de Spinoza)やM・K・ガンディー(Mohandas Karamchand Gandhi)であるが、他にも I・カント(Immanuel Kant)などの西洋哲学、禅などの東洋思想、そしてアニミズムへの言及も見られる。他の環境思想との共通性としては、A・レオポルド(Aldo Leopold)の「土地倫理(land ethic)」やJ・ラヴロック(James Lovelock)の「ガイア理論(the Gaia hypothesis)」との類似性が挙げられる。さらにネスの思想は、アメリカを中心とした環境思想家達に多大な影響を与えた。特にB・ディヴォール(Bill Devall)、G・セッションズ(George Sessions)、ネスの著書の英訳者であるD・ローゼンバーグ(David Rothenberg)、そしてF・カプラ(Fritjof Capra)らの名を挙げることができる。なかでもセッションズは、1985年に「プラットフォーム原則」と呼ばれるディープ・エコロジー運動における基本的な行動基準をネスと共に発表している(ネス、セッションズ 75-82)。
ディープ・エコロジーの思想については、これまでに多くの批判がなされている。それは例えば、自然を単純に良きものとみなす、またはそれを過度に神秘化する傾向に対するものや、全体主義的な要素(特にネスとセッションズにより提案された人口減少の必要性)に関する懸念などが挙げられる。なかでもM・ブクチン(Murray Bookchin)らのソーシャル・エコロジーは、ディープ・エコロジーにおいては社会的な要素、すなわち環境破壊を悪化させている元凶である政治・経済的な搾取の構造に対する考察が欠けていることを指摘している。またエコフェミニズムの側からは、ディープ・エコロジーにおける拡大された自己の概念が中性化されており、女性の抑圧が忘却されていることに対する批判が見られる。しかしながらこれらの思想にはディープ・エコロジーと共通する点も多い。よってこうした批判はディープ・エコロジーを否定するものというよりは、それを再考し補完していく契機として捉えられるべきものと思われる。
(巴山岳人)